我が家のコーギーヒメとの別れ さようならヒメ

今月は記事のアップのないままにしておくのか悩みましたが。4月最後の日、今までのブログの記事の中で一番辛いものになってしまいますが、こんなことは私一人の胸の中にしまっていたら良い話なのですが。

しかし悲しいかな記憶というものは時間の経過と共に色褪せていくようにも思われ、どうしても今の心境をヒメの為にも形として残しておきたいと思いました。文章が長くなる可能性があり、暗い話しにもなるので、お嫌な方は割愛下さい。

4月24日午後11時47分我が家のヒメが息を引き取りました。10歳8ヶ月の生涯でした。その日は私の誕生日が終わるギリギリの時間。偶然とは言え、それはヒメの意思のようにも感じられました。

去年の秋頃から急に後ろ足が弱くなり、走ることが減り、顔が士郎より老けた気がしていましたが、早く老化が来たのかと思っていました。でも今思えばその時くらいから、発病していたのだと思います。

大晦日に鼠蹊部にシコリを発見し、飛び上がるくらいびっくりして、毎日体を拭く時にチェックしていたはずなのになんで気づかなかったのかと焦りました。ヒメは避妊していなかったので、乳腺にしこりを見つけたら即乳腺ごと取り除く治療を受けさせよう。

そうすれば完治するはずと思っていました。お正月明けに病院へ飛んでいきましたが、乳腺の悪性腫瘍にしたら柔らかいなあ、と言われながら生検。しかし生検後はシコリはどんどん固くなり、背中や脇腹にも次々と出現。

パニックになりながらもこれは乳腺腫瘍じゃないと、生検の結果を待っておれずに他の病院へセカオピに行ってしまいました。そこで、医師がこれは多分リンパ腫でりんぱがあちこち腫れているんだ、と言われ、そこでも顕微鏡で組織を調べてくれてリンパ腫が確定。

リンパ腫にもいろいろな形があるそうで、それは生検の結果待ちになりました。結果は悪性度が高く進行が速いが抗ガン剤が有効なものであることがわかり、医師の勧めで抗ガン剤治療へと進みました。もちろん必ずこれで何年でも寛解に持ち込めると信じていました。

カレンダーに三週間に一回の抗ガン剤を飲ませる日を印していましたが、三回飲んで体調もまあまあ、また夜遅く誰もいない公園でリードから手を放すと、私の周りを嬉しそうにグルグル走るようになれたので、薬が効いてくれていることが実感できました。

この状態が数年続いてくれることを祈りましたが、獣医師が私に俳優の渡辺謙さんの話しをして、あの人も治ったというのではなくずっと寛解が続いているんだ、なんて話されるからテレビで謙さんを目にする度になんだかうれしくなってしまい。

うちも大丈夫だなんて犬と人間の垣根を超えて、変に安心してしまったりしていました。しかし3月も終わりに近づきまた次の抗ガン剤もらいにいかなければ、と思っていたら朝酷い下痢になってしまいすぐに病院へ。

やはり副作用が酷いみたいなので、一旦投与やめて様子みましょうと言われ、カレンダーには飲ませる日の印だけが残されました。そして4月に入ると、だんだんフードを食べなくなり、なんとか食べさせなければという工夫が始まります。

ひき肉を混ぜたり、介護食にしたり、子犬用のカロリーエースを飲ませてみたりしているうちに、また酷い下痢と嘔吐。そして喉のリンパ節がパンパンに腫れて、顔まで腫れて片目が斜視みたいになり、また病院へ飛んで行きました。

そして今度は一番恐れて聞きなくなかった言葉、再発してますねと言われてしまいました。腸にはリンパ節がたくさん集中しているので腸の機能もだめになりつつありました。でもまだ薬始めて4ヶ月も経っていませんが、と真っ暗な気分になりながら訴えました。

医師はまあ長くて半年延命できれば良い方なんですよ、とのこと。そしてとりあえずまた抗ガン剤与えてみましょう、と吐きけと下痢を止める注射と共に、飲ませてくれました。本当に効いてくれることだけを祈りながら帰りました。

翌日から下痢は止まり、顔の腫れも少し引き、斜視も治り、少しやれやれ。しかし相変わらず食べれず、便も真っ黒でした。黒い色は明らかに腸で出血していることを去年の自分自身の癌騒動で嫌というほど分かっていました。

月曜日になると立ち上がるのもやっとになり、体を触ると硬ばらせるようになり、火曜日の朝は水も飲まなくなり、夕方には呼びかけにも反応しなくなって首が曲がってあらぬ方向を向いています。

もうこの時点で覚悟と絶望感に押しつぶされながらも、最後の瞬間まで目を放すまいと思うばかり。何回か四肢をもがくみたいにばたつかせたり、呼吸が荒く、目が開いたまま虚ろになり、日付けが変わる少し前、そとでは雨が激しく降っていました。

そして最後のグウというような大きな声と共に呼吸が止まりました。口から透明の液体を大量に吐き、口の周りも乾き、お尻からは便というよりは体液のようなものが出て、尿も大量にしていて、身体中の水分が全て流れ出す感じでした。

死というものの凄まじさは、よく言われる安らかなとか、眠るようにとかそんな綺麗なものとはかけ離れたものでした。誰しも愛するものには、苦しまずに逝ってほしいと願わずにはおれませんよね。

しかしやはりそれは生から死という全く異なるものへと移行する時の避けては通れない苦しい瞬間なのだとわかっていました。楽に苦しまないで逝けるのなら、人間は死を恐れたりはしないですから。

犬が人間のような死への恐怖を人間のようには感じていないことだけが救いなのかもしれないと、ヒメを見送った今でも繰り返し考えたりします。ヒメの病気が悪くなっていく中、終わってしまえば時間的には短ったかもしれませんが。

ヒメの小さな短いマズルが病気で腫れてしまったことや、亡くなった後も生きてるみたいに可愛く丸めた四肢が忘れられません。普通亡くなるとある程度四肢が固く細く変形してピンと伸ばした姿になるのを今まで何度か見てきましたが、ヒメはそうなりませんでした。

闘病の時間が短かかったからかもしれませんが、こればかりは短いから良かったなんて、思いたくありません。冷たくなったヒメの身体に触れ、生前の暖かく柔らかい身体をどんなに欲してしまったか。

ヒメという子は私にとってそこにいて当たり前の子で、最後は老けてヨボヨボになり、文句いいながら下の世話をするまで生きていてくれると信じていました。だから10歳の誕生日を迎えられた後思ったこと。

これで1クールが終わったなあ、2クール目の日々は果たしてどんな毎日になるのかなあなんてお気楽そのもの、まさか次の誕生日も迎えられずに旅立ってしまうなんてあまりにもあっけなさすぎて、今もひどいペットロス状態に陥ってしまったままです。

見送って数日は自分でもよくこんなに涙が出るもんだと、可笑しいくらいに泣き、ネット検索でペットを亡くされた方の体験談などが上がっていますが、これも可笑しいくらい同じ状態になっている自分がいました。

死は生きていれば当然いつかは訪れるものですが、愛する者の死を簡単に受け入れることができる人間はいないと思います。だから一日一日を大切にしないといけないなんてわかってはいるつもなんですよね、でも・・・

時間は無限にあるように思えますが、両手にすくい上げた砂のように、手から溢れ落ちていきます。愛するものを残して先立つ訳にも生きませんが、すくい上げた砂が手のひらから落ちていくのを止めることができない悲しさ。

愛犬との別れの時にはどうしてもそんな風に考えてしまう自分がいます。長い文章本当に失礼いたしましたm(_ _)m

病気が分かってからのヒメとの最後の旅
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良いお天気の中士郎との最後のツーショット
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カフェで休憩、淡路島ロールっていうおいしいケーキを食べてご機嫌な士郎とヒメ
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淡路島国立公園でもスリゴロしたり、ちょっと走ったりして楽しかったね
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最後はハチさんと記念撮影して帰ったね
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ヒメ、またいつか会える日を母さんは楽しみにしてるからね。

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