コーギーの歴史

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1944年頃のイギリスのコーギーペンブローク

コーギー・ペンブロークは古くから牛を追ったり番をしたりする飼い主に忠実なワーキングドッグであったので、有能な牧畜犬としての長い歴史を刻むことになります。足が短く背が低いのは牛の踵を噛んで群れを誘導するためです。

それは蹴られたりせずに牛の足の間をすばやく、くぐることができるように改良された形なのです。生まれてすぐに尾を断尾してしまうのも、尻尾を残してそれを牛に踏まれて逃げられず命を落とす犬が出たための措置だといわれています。

そんなペンブローク・コーギーがイギリスのロイヤルファミリーに愛されることになったのは、皇太子がプリンス・オブ・ウエールズを名乗ることの関係からウエールズを代表する犬コーギーとの縁が生まれたようです。古くヘンリー2世(12世紀)に愛育されたという記録も残っています。

1933年、現代になって最初に飼育したのはジョージ6世です。そして彼の娘エリザベス女王は、1944年18歳の誕生日に父親からペンブローク・コーギーを贈られて以来飼育し続けていて、現在は4匹の愛犬が女王と一緒に生活してします。

彼らは、忙しい公務のかたわらとても可愛がられながら、世話をしてもらっているそうです。なんともうらやましい限りですが、イギリスから遠く離れたこの日本でも女王陛下に負けないくらいの愛情をもってコーギーを飼育している飼い主はたくさん存在しています。

話は戻りますが、今日ではエリザベス女王の愛犬として有名になり、王室の犬といえばコーギーをさすほどポピュラーな存在となった彼らは1934年にイギリスで公認され、そして今では家庭犬として世界中の人々に愛されているのです。

こんな魅力一杯な高貴な犬コーギーですが、その犬種をさらに理解するためには、犬種の理想像としてのスタンダードを理解するこが必要になります。

ただ可愛ければそれでいいと言う飼い主さんも多いのですが、スタンダードを理解することでさらにコーギーに対する愛情も深くなると私は信じますので、コーギー・ペンブロークの歴史を振り返ることと一緒に、そのことについてお話していこうと思います。

 

ペンブローク・コーギーの起源を少し詳しく解説してみます。

賢い牧畜犬としてのコーギー
イギリス、ロイヤルファミリーのコンパニオンとして、世界中に知られることになったウエルシュ・コーギー・ペンブローク。古くから王室や上流階級との関わりが深く、その影響から別種のウエルシュ・コーギーであるカーディガン種より一般的なものとなりました。

地元イギリスでもウエルシュ・コーギーはペンブロークだけだと思っている人が多いようです。日本ではペットとして人気の高いペンブローク・コーギーですが、カーディガン同様、本来は農場で牧畜犬として使われていた使役犬です。

小柄で足が短い体は、牛追いの仕事の際、牛に蹴られる前に体の下をくぐってすばやく逃げるのに適しており、また、咬み癖があるといわれるゆえんは、牛が群れから離れたら足首に噛みついて群れに連れ戻していたためといわれています。

今ではそれはけっして本気で噛んでいるわけではなく、目の前をすばやく走り去ろうとするものを本能的に追ってしまい、じゃれ咬みする個体がいるようですが、犬がきらいな人や子供などにはそれが怖いと感じてしまうことがあり、咬み犬などと不本意な呼ばれ方をされたりするようです。

そのような行為は簡単なしつけでまったく問題はなくなりますので、決してコーギーを飼いたいと思う方々が心配することではないということを、彼らの名誉のために付け加えておきます。働きもののコーギーは、牛だけでなく、さらに羊やポニーなどを追うのにも使われていたようです。

そしてそのほかにも家畜商人について市場や屠殺場までお供したり、波止場で運搬船から牛の荷下ろしの手伝いまでしていたと言われています。この人間と共に作業をするという習慣は、今飼われているコーギーたちのDNAの中にもちゃんと組み込まれているのです。

このような歴史を持つコーギーたちは人間と一緒にさまざまなスポーツに挑戦したり、飼い主と一緒にあちこち出かけていって、飼い主と一緒になって楽しむといったような日常を送るのに、もっとも適した犬種といえるのではないでしょうか。

同じ農場で働くボーダー・コリーは頭の良いことでよく知られていますが、コーギーもこの犬種に勝るとも劣らないということを証明するこんな逸話があります。方向感覚に優れたコーギーは、家畜商人と連れ立って市場まで出かけます。

用事を済ませた後、パブで一休みする商人をおいて一足先に家路をだどっていたというのです。ちなみに、家畜市場ははるかロンドンやミッドランド地方まで行かなければならなかったと言いますから、これは大変な距離になってしまいます。

ただこんなお話をしたからと言って、今飼われているコーギーちゃんたちには絶対真似をさせたりはしないでください。現代の私たちの社会にはいたるところに道路があり、そこを走る車やバイクはコーギーにとっては、天敵なわけなので。

コーギーの歴史は非常に古いだけに、その起源をたどるのは並大抵のことではありません。ある資料によれば、西暦900年前後には、ウェールズ地方にコーギーらしい牧畜犬がいたという記録があったようです。

また別の資料には1107年にフランダースのはたおり職人と共に大陸からやってきたという説があったり、8世紀から11世紀まで存在したスカンジナビア出身のバイキングの遠征で、スエーディッシュ・バルハウントの先祖ともいわれる犬がいました。

彼らが海賊たちと一緒にウエールズに入ってきたのが始まりであるともいわれています。たしかにバルハウントと現在のコーギーの間には似通った特徴が多数存在するのもその説を裏付ける証拠になっています。

逆の一説にはこんなものまであります。バイキング遠征でウェールズとスカンジナビアの交易がさかんになりました。コーギーが家畜と共に船でスカンジナビアに渡ったのが、さきほど登場したスェーデッシュ・バルハウントの始まりだという説です。

こういった様々な説が語られる中で、ウエルシュ・コーギー・クラブの元祖、イギリス・ウェールズ地方のウエルシュ・コーギー・クラブは次のように述べています。コーギーの先祖は、牧畜犬として元からウエールズに存在した土着の犬だと主張しています。

コーギーがスエディシュ・ヴォルフントやランカシャー・ヒーラーと関連があるという人は多くいるが、同じ牧畜を目的として作られた犬である以上、外見が似ているのは当然である。調べれば調べるほど謎も深まるといったところでしょうか。

イギリスのエリザベス女王とウエルシュ・コーギー・ペンブロークとの出会いは1933年にさかのぼります。それまではパグやケアーンテリアを飼っていた父ジョージ6世が、初めてコーギーの子犬、ドゥーキーを飼ったのが始まりです。

それ以来、ロイヤル・ファミリーは熱烈なコーギー・ファンとなり、1936年にジョージ6世がメスのコーギー、ジェーンから繁殖を始めたことから王室はコーギーの楽園となっていきました。
そしてエリザベス女王も父の遺伝子を受け継ぎ、大の犬好きでした。

1944年、18歳の誕生日にメスのコーギー、スーザンを手に入れて以来、コーギーの繁殖を始め、今では彼女の子孫であるフェーロ、スウィフト、リネットの他に、もう一頭エマを加えた計4頭のコーギーのオーナーとなっています。

女王はコーギーの繁殖にも力を入れていますが、これは全くの趣味で、生まれた子犬は親しい親族や友人のみに譲られるということです。さすがに皇室の繁殖した子犬を望んでも一般の人間にはちょっと手に入れることは不可能でしょう。

しかしあきらめることなかれ。答えは血統の勉強をすることです。今存在する正しいコーギーの血統をたどれば、最後には数匹の基礎犬に行きつきます。そこからたくさんのコーギーが改良を加えられながら誕生してきたわけなので、皇室の血筋とも共通する血液は必ず存在します。

さて、こういうお話の流れを理解する方はコーギーの血統について、好奇心が湧いてきたのではないでしょうか?しかし血統の系譜はそれこそ、それを語りつくすにはどれだけの時数が必要になるかはわからないので、これはまた改めて機会があれば解説します。

 

エリザベス女王は、今は亡くなられた妹のマーガレット王女と共に、幼ころから銀のお皿にのって運ばれて来る食事を、自らの手で愛犬のコーギーたちに与えていました。今でも、それは変わりなく各コーギーの好みに合わせて、自ら手で食事を混ぜて愛犬に与えるということです。

こんな待遇を受けて王室のコーギーたちは本当に幸せとしかいえません。さらに、女王は国内の別邸を訪れる際、必ずすべての愛犬を同伴するということで、彼らが、女王陛下の最愛のコンパニオンだといわれる根拠はこんなところにあるのかもしれません。

女王とコーギーの親密な関係は世界的に知られていますが、その他に4頭のドーギという種類の犬が飼われていることは、イギリス国内でもあまり知られていません。これは前述のマーガレット王女の愛犬ダックスフントとエリザベス女王のコーギーとの間に生まれた子犬のことなのです。

しかし、残念ながら、イギリスのケンネル・クラブでは、これを純血種としては認めていません。これについて胴クラブは「ダックスフントは地面にもぐったモグラを追うために作られた犬種で、コーギーは牧畜犬です。

もし、牛がアナグマの穴に落ちたら、ドーギ―はそれを救助するのにぴったりの犬種でしょう」というユーモアに富んだコメントを残しています。ところで昨年は女王就任50周年の盛大なお祝いが行われていました。そして宮殿の回りにはコーギーとその飼い主がたくさん集まっていました。

私たちのコーギーも一緒に連れてバッキンガム宮殿へかけつけることができないなんて、なんとも悔しい気持ちになった私ですが、日本のコーギーファンの方たちもネットなどで、その写真を目にした時に同じように感じた方も多かったことでしょう。

ここでコーギーとドッグショーの歴史についても少しお話したと思います。

今までも述べてきたように、ブリーダーの努力によって繁殖されたコーギーは、きっとドッグショーにおいてもオーナーを充分に楽しませてくれるはずです。ドッグショーにはその犬種のスタンダードを全て兼ね備えた犬たちが出陳されます。

もしコーギーに興味を持たれたなら、お散歩で出会うコーギーちゃんもたしかにコーギーには違いありませんが、是非ドッグショー会場に足を運んでみて、美しく優雅にリングを走るコーギーたちの姿を見学してもらいたいと思います。

では良い機会なので、ドッグショーの歴史について少しお話します。ドッグショーの始まりは、犬や熊や牛などの動物と闘わせる闘技ショーといわれ、1600年代のイギリスでは王室公認で行われており、大勢の観衆がショーを楽しんでいました。

こうした闘技人気の高まりは、犬質の改良へとつながりました。闘技に勝つための体型や気質を求めて改良が繰り返されていったのです。その後動物愛護の精神等から闘技ショーが禁止されると、代わりに犬質を競う品評会が行われるようになりました。

最初は居酒屋などで非公式に開催されていましたが、1859年、イギリスのニューカッスルで犬の外貌や形態美を審査する正式なドッグショーが開催されたのです。これ以後イギリスやアメリカではさまざまなドッグショーが開催されるようになりました。

また、非公式のドッグショーとして子犬だけを集めたパピーマッチショーも行われるようになりました。これは現在の日本のドッグショーにも受け継がれていて、生後9か月までのパピーは入賞はできますが、非公式なのでチャンピオンとして認定されることはありません。

しかしいきなり9か月からドッグショーに出陳するよりも、会場や審査にも慣れて成犬からの審査が断然有利となるので、ベビーパピーのマッチショーからショーに参加させるオーナーも少なくありません。

ということで、現在行われているようなドッグショーは、始まりは居酒屋での品評会やパピーマッチショーが基礎になったものといえるのです。きっと始まりは、飼い主の犬自慢が高じて、犬を持ち寄っていたのでしょう。

どちらがすばらしいか、その場に居合わせたお客などに判断してもらっていたのかもしれませんが、そういった光景も犬好きならタイムマシンに乗って見に行ってみたくなるような、お話ですね。

オーストラリアで暮らしていた頃の我が家のスミシー(左側)オーストラリアの犬舎にはコーギーの原産国イギリスの血液を有している個体が多く飼育されています。
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